晋州冷麺を求めて
順天のバスターミナルから次に向かったのは晋州という街だ。
ここには倭城はないのだが、三大冷麺の一つと言われる晋州冷麺がある。
そして次の目的地である泗川倭城もここを起点に行けるはずだ。
バスターミナル付近に地球の歩き方に載っていた「ハヨノク」という冷麺のお店があったので、ここでランチを取ることにした。
出てきた名物の晋州冷麺(9,000ウォン)は茶色のスープでゼラチン状の何かが浮いているような見た目であった。
あまりおいしそうに見えなかったが、口にしてみるとクセの少ないあっさりした味で、辛さもなくすぐに完食してしまった。
付け合わせのキムチも酸味が効いていて非常においしい。
感動するほどおいしいわけではないが、晋州に行くなら食べておきたい名物料理といったところだろう。
晋州城で歴史のお勉強
この街の中心部には晋州城という入場料2000ウォンの施設があるのだが、ここは倭城ではない。
しかし、文禄の役では激戦となったところで、日本側の軍勢が何とか攻め落とした城とのことだ。
城内には博物館があり、壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄・慶長の役のこと)についての展示がメインとなっている。
歴史についてはやや盛っている部分はあるだろうが、それも含めて楽しめた。
倭城についての写真展示もあったので、泗川倭城に行くのであれば併せて見学すべき観光スポットだろう。
韓国における反日意識の原点ともいえる戦争の展示をデリケートな時期に見学したのだが、特に問題はなかったようだ。
私は館内で携帯電話を落としたが、無事に受付に届けられていた。
外へ出ると路線バスの車体に「NO安倍」のビラが貼られていたのはビックリしたが。
桜の名所・泗川倭城を散歩
晋州城の見学を終えてバスターミナルに戻り、次は泗川に向かうことにした。
隣町ということもあって、バスは頻繁に出ているようで、泗川のバスターミナルには難なく到着した。
だがしかし、ここから泗川倭城までが遠い。
面倒くさくなったので、タクシーを使って一気に倭城まで行くことにした。
倭城の知名度は低いだろうから運転手には「船津公園(ソンジンコンウォン)に行ってください」と言うと、すぐに理解してくれた。
この船津公園一帯が泗川倭城の跡になっているようだ。
ここは倭城の中では珍しく門まで復元されている。
桜の名所らしく、写真などを見る限りどうやら春先だけは賑わうようだ。
天守台の上には慰霊碑のようなものが建っている。
石垣は適当に修復されたのだろう。
山を西側に下ると、かつて軍港だったと思われる地点に着いた。
ぐるっと反時計回りに進むと、城の東側に土塁の跡のようなものも確認できた。
ただし私有地のようなので入ってはいない。
泗川倭城は市街地から遠くて人の手があまり入っていないことが幸いしてか、比較的遺構がきれいに残っていて、前回の順天同様見ごたえがあった。
見学者というか、ほとんど人がいない田舎なのでついのんびり見学してしまい、予定時刻をオーバーしてしまった。
急いで帰ろうとしても田舎過ぎて路線バスもほとんど来ない。
多分1時間に1本くらいなのだろう。
ここは泗川市内でも中心部からかなり離れた場所なのだ。
バス停で地元のおじさんと世間話をしながら40分くらい待ってようやくバスが来るような調子だ。
しかもそのバスも直接ターミナルには行かず、乗り換えで迷い、ようやく着いたターミナルでも釜山行きの便が売り切れなどで長時間の待機を強いられるなど、泗川の旅は困難の連続であった。
次の目的地である釜山に着いたのは夜9時過ぎであった。