私の外国語挫折日記

さまざまな外国語への挑戦と旅の記録です


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「日常会話レベル」という表現に困惑

得意な外国語を会社に申告

この春から職場が変わり、また新たな人事制度を経験することになった。

現在の勤務先では人事評価の前提としてはじめに「自己申告」を行い、目標を定めた上で一定期間後の達成度合いによって評価が決定するらしい。

そんなわけで「自己申告書」なるものを書くことになった。

それはいいとして、同時に自分自身の特技やら強みやらを書く欄もある。

そしてなぜか「得意な外国語」が独立した項目になっているではないか。

英語やフランス語、ロシア語などメジャーな言語が選択肢として設定されているが、「その他」を選んで自分で追加することもできるようになっている。

ここに「ペルシア語」とか書いたら上司はどんな反応をするのだろうか?

やってみたい気もするが日常的にイラン人と関わる仕事はないだろうし、「変な奴」というレッテルを貼られる可能性もあるので今回はやめておこう。

 

あいまいな表現

しかしこの「自己申告書」、習得レベルを申告する選択肢は非常にわかりづらい。

ざっくりいうと「通訳ができる」、「読解ができる」、「日常会話ができる」の三択なのだ。

通訳なんてできるわけないのでここではあまり悩まないが、「読解ができる」とはどこまでのレベルに達していればいいのだろうか?

例えば小学2年生くらいなら「一日」とか「正しい」などの漢字はもちろん読めるだろうが、「遵守」だとか「約定」は読めないだろう(この漢字は大人でも間違って読んでいる人を最近見た)。

小学2年生は漢字の「読解ができる」といえるかどうか微妙だし、さきほどの漢字を「そんしゅ」とか「やくてい」とか読んでしまう大人は「読解ができる」といえるのだろうか?

この場合なら、小学2年生ならまだ「読解できない」だろうし、大人なら少しくらい間違えることがあっても意味は分かっているだろうから「できる」と判断する人が多いと思うが、「それでは小学5年生や中学2年生ならどうか?」という問題も出てくる。

「できる」「できない」だけでは明確な基準がなく判断に迷ってしまう。

 

「日常会話」という言葉の幅

より厄介なのが「日常会話」という言葉だ。

これが一体何を意味するのかは「読解」よりも不明確に感じる。

「読解」なら子供が読むような絵本レベルではなく、雑誌、新聞、インターネットの記事など普通の文章が読んで理解できるかどうかというレベルのことだろうとイメージする人が多いのではないだろうか?

しかし「日常会話」という表現にはかなりの幅がありそうだ。

試しにインターネットで「日常会話レベル」と検索してみたところ、出てきた記事の中には、定義があいまいなまま論理を展開しているものもいくつか見られた。

「英検何級取れば日常会話ができるか?」と言われても「日常会話」がどのレベルなのか定義しないと答えは出ないはずだ。

 

私は先日、カザフスタンで道を尋ねられたが、直前に通った場所だったので、「まっすぐ行って右にあります」ということをロシア語で答えることができた。

だが、「ナザルバエフ通りを右に曲がって5軒目の建物の奥です」などという込み入った表現はすぐに出てこない。

こういう状態でできると言っていいものなのかどうか、人によって分かれるのではないだろうか。

今回は「日常会話」という定義が不明なものを「できる」か「できない」かというよくわからない線引きをすることが求められている。

実際のところもっと細かく定義したり基準を明確化しないと判断はできないので、この「自己申告書」は偉い人が「○○君、パソコンは詳しいか?」と尋ねてきているのと同じ程度のものと考えることにした。

 

私の勤務先は外国語のプロを雇うような組織ではなく、実務でビジネスレベルの語学力を求められる場面もないので、高度な語学力を持った人はほとんどいないはずだ。

それゆえ「通訳ができる」を選択する人は通常あり得ない会話レベルに達しているのであって、一方の「日常会話ができる」というのはそれよりも劣った語学力を指しているのだろう。

ビジネスレベルの語学力が求められない職場で、評価する側が明確な基準を持っていないからこそ、こんな「日常会話」やら「できる」などといういい加減な表現の選択肢になったのかもしれない。

まあ、高度な語学力が要求される仕事ではないので、少しでも「できる」ことにしておいた方が外国関連の仕事に配置されやすくなるのかもしれないので、そういう仕事がしたかったら「言ったもん勝ち」というところだろうか。

現場の上司も英語以外の言語がわかるわけでもないので、多少盛ってもだれもわからないだろう、というのが私の予想である。

でも下手に英語ができることになってしまうと、外国人が来たらすべて対応させられるいう経験もしているので、そのあたりは慎重にやらなくてはいけない。

 

それにしてもイランで知らないおじさんと10分以上世間話ができた私はペルシア語の「日常会話ができる」と言っていいのかもしれない。

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